今更ではあるが、家名「永遠の疾走」について・・・

このゲームを始めるに当たっては、野生馬捕獲と育成が可能ということが決め手となった。
IDを取得し、試しに捕獲~乗馬までやってみて、馬とそれに跨るキャラの姿が気に入った。
「よし!このゲームを続けてみよう」と考えた。

少しゲームを進めていくうちに「乗馬時の見た目」が気になりはじめた。
ディスプレイ上のキャラクターの姿をみてプレイするわけで、騎乗姿勢がどう見えるかは、おおきな問題である。
上段に家名、下段にキャラ名であることから、家名・キャラ名が関連付けられた良いものがないか、少し考えた。

そして、考えた末に思いついたのが、 「永遠の疾走」であった。
新たにアカウントを取り直して、新たな家名「永遠の疾走」で、本格的にゲームを開始することにした。
因みに永遠の疾走という言葉は、稀代の名馬「サイレンススズカ」追悼のキャッチコピーとして、宝塚記念の式典で使われたものでもあるそうだ。

学生時代に、多少競馬(JRAの公営競馬)に興味を持った。
当時の競馬界はキラ星のごとくスター馬を輩出し、人気絶頂だった気がする。
社会が成熟し日本の基本的国力が維持され続けている現在のほうが、馬自体の強さは強いかもしれない。
しかし当時の馬たちには華があった。そこに夢中になった記憶がある。(笑)
人間の打算によって作り出された競走馬。
そこには、はからずも本来の生を全うしえず散っていった多くの馬たちが居た。
今も私の心の中で忘れえぬ名馬達よ!

どうか心ゆくまで、永遠の疾走を楽しんでほしい!
家名・キャラ名を考えていたとき、ふとそんなことを考えてしまった、というわけだ。


さて、レースをやっているうちに思い立った。どうせやるなら、名騎手で・・・
と考えたら、永遠の疾走に最もふさわしい人を思い出した。南井?河内?武?田原?・・・いやいやw
天才福永!
福永01
(参加者無しのレースを選び、無事完走!その名に相応しく、1位ゲット。)


《作成キャラの説明》

福永洋一(生年月日:1948年12月18日、 高知県生まれ)
1970年(3年目)以降、リーディングジョッキーを重ね、78年には年間最多勝記録131勝の新記録樹立。
79年落馬事故により、頭部打撲や舌を噛み切っての窒息などの原因により脳に重大な損傷を受ける重傷を負った。
救命活動によりなんとか一命は取り留め、懸命のリハビリを続けたが、二度と騎手としてその雄姿を現すことは無かった。
ライバルに武邦彦がいたが、この人は武豊の父。息子の福永祐一も騎手として活躍中。
天才と呼ばれ、乗り替わりに抜群の力を発揮した福永は馬と話が出来るとまで賞賛された。

サイレンススズカ(1994/5/1~1998/11/1)父:サンデーサイレンス、母:ワキア
生涯戦績:15戦9勝・・・おもな勝鞍は1998年の宝塚記念。
’98年、6連勝で臨んだ天皇賞(秋)において左前脚の手根骨粉砕骨折。予後不良と診断され安楽死となった。
大逃げというレーススタイルで注目され、天皇賞までを6連勝という歴史上他に例を見ないほどの圧倒的なスピードで駆け上った。スタートからゴールまで決して先頭を譲ることのないままに、常に馬群の先頭を走り続け、そして逝ってしまった。
武豊はサイレンススズカに対して、
「本当にこんな馬がいるんだ!という馬に、初めて出会った」とインタビューで語っていたそうだ。
サイレンススズカを失った武豊は、常に冷静な彼に似合わず泥酔し、号泣したと報じられて話題にもなった。

テンポイント(1973/4/19~1978/3/5)父:コントライト、母:ワカクモ  別名:流星の貴公子
生涯戦績:18戦11勝・・・おもな勝鞍は1977年天皇賞(春)、同年有馬記念など。
77年度の年度代表馬となったテンポイントは、翌年海外遠征が計画された。
日本での最後の雄姿を見たいというファンの要望により壮行レースとして日本経済新春杯に出走とすることになった。
このレースはハンディキャップ戦であり、発表された斤量は66.5kgであった。身勝手なファンや馬主(私の個人的見解です)の意向をうけ、法外な斤量を背負い、彼はこのレースに臨んだ。
そして、第4コーナーに差し掛かったところで左後肢を骨折し競走を中止した。
このような場合、静かに安楽死させてやるというのが、競走馬に対する最大の敬意と愛情であるが、またもや、ファンの要望により安楽死させること無く、手術治療という選択がされた。
医師団の必死の施術・治療の甲斐なく、死亡。術前500kg近くあった馬体重は、「大きな犬と思うほどに痩せ衰えた」(馬主の高田談)というほどに衰弱していたという。
サラブレッドの宿命とはいえ、人の欲望に翻弄された悲運の名馬というほか無い。

プリテイキャスト(1975/3/20~1995/6/28)父:カバーラップ二世 母:タイプキャスト
生涯戦績:41戦8勝・・・おもな勝鞍は1980年天皇賞(秋)
1980年の天皇賞(秋)で歴史的な大逃げからの優勝を果たし、その年、優駿賞最優秀5歳以上牝馬に選出された。
80年有馬記念にはファン選出は得られず、推薦馬として出走、惨敗後引退。
繁殖牝馬生活後20歳にて病没(安楽死)
80年(秋)の天皇賞の名レースのためだけに生まれてきたような印象の戦歴である。
 このレース当時、私は京都で学生生活を送っていた。
 アルバイト先の先輩に誘われる形で京都淀競馬場へ足を運んでいた。逃げても逃げても最後には見事に捕まってしまう逃げ馬に心酔し、逃げ馬を追いかけていたように思う。
実はこのレース前日、当京都競馬場で10Rか11Rで「マチカネニチリン」という馬が大逃げを打った。20馬身以上の大逃げだったように記憶している。しかし、ゴール前見事に捕まり、この結果は翌日の天皇賞予想でのプリテイキャスト人気を一層引き下げた。
そしてこの天皇賞レースである。
京都淀競馬場の場内放送で、かの大逃げ名レースに見入り、結果に歓喜した。

レース駆け引きを含め評価は色々あり、プリテイキャストは最強の牝馬だなどという気は毛頭ない!
ただ、京都の学生時代を懐かしむような歳となった私にとって、この天皇賞は生涯の一番の会心のレースであり、プリテイキャストは我が1番の名馬である。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)